創業初期の「ヤクルト」の配達員は男性!?

ヤクルト

「配達」から「お届け」へ

代田 稔博士は「いるどこでだれがつくったものが、誰の手によって、どのような消費者に届けられるかをすべてチェックできるのが宅配制度である」という言葉を遺しています。

創業当初は、「月1回」の配達・販売でしたが、営業所や配達中継所などの体制が整うと、毎日お届けする日配が始まりました。やがて研修をとおして、「われわれはただ乳酸飲料を売るのではない」という思想が生まれ、次第に配達ではなく「お届け」と呼ばれるようになりました。

創業初期の「ヤクルト」の配達員は男性!?

創業初期の「ヤクルト」の配達員「を担ったのは新聞の求人広告や経営幹部らの縁故などで入社した若い男性配達員でした。その後「お届け」の主力は婦人販売店システムに移り、当初は医師の夫人など健康意識の高い女性や、地域の社会活動に熱心な家庭婦人を積極的に採用しました。1960年代半ばからは、ヤクルトレディが地域を1軒1軒回って、家庭の主婦に乳酸菌や商品特性の理解を得たうえで販売する「戸別普及」活動が、全国で展開されました。

「センター」の誕生

当初は販売会社の営業所がお届けの拠点でした。1968年プラスチックの新容器導入時に、商品管理を徹底し地域に密着したサービスを展開するため、「センター」が誕生しました。

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